スースダイ、浅野です。
SuiJohは今まで合計4,000枚のマスクを寄贈、寄付致しました。
ここに至る経緯を少しばかり記させて頂ければと思います。
と言うのも、こうなる予定じゃまったくなかったのです!笑
覆水盆に返らずならぬ、切った布は元に戻らない状況も相まっていたのです。
時は約2ヶ月遡ります。
時は遡り、このプロジェクトが動き始めたのは、3月6日。
カンボジアも少しずつコロナで騒がしさが増してはいましたが、しかしまだシェムリアップには観光客の往来は少なくなったもののまだあり、プノンペン市内も日常に近いものがありました。
強いて言うなら、3月4日にカンボジアからベトナムを経由して日本に帰られた方がコロナ陽性とわかり、シェムリアップでは日本人の友人が「ヘイ、コロナ」とからかわれたり、プノンペンでも僕の行きつけサウナで外国人の入浴拒否があったりと騒がしさの足音が大きくなりつつある状況でした。
それを空気感や視線で感じた僕は、初めて”カンボジアで外国人である自分”と言う立ち位置をネガティブな意味で感じさせられました。
他にもレストランでご飯を日本人には売ってくれなかった、と言う話まで聞く状況へとなっていきました。
でも、カンボジアが好きで、カンボジア(人)と共に何かを成し遂げたいと覚悟を決め、地味に?地道に?カンボジアで生きてきたこの約10年。
それを苛立ちや怒り、憎しみなどの感情に任せて「だからカンボジア人は!」と言ってしまったら、今までの自分を裏切ることにもなってしまう。
むしろ逆に「カンボジア愛&感謝」を伝えたい!
僕らに出来る事ってなんだろう。。。そう考えたとき、マスクだ!と思ったのでした。
その当時、マスクが徐々に品薄になり価格は高騰し、尚且つ地方だとマスク自体が手に入らないと言う声をスタッフから聞くようにもなっていました。
日本ではマスクと言えば、風邪や花粉症などそのような対処の一つとしての使用がメインだと思います。
でもカンボジアは少し違います。
バイクでの移動が圧倒的に多いカンボジア人にとって、マスクは日焼止めでもあり、排気ガスから守るお守りのような存在。(コロナ以前は2つ500リエル(約12円)で購入できていました)
そのマスクが品薄だったら布マスクを作って、それを配布して使ってもらおう。
そしてSuiJohを知ってもらう機会にも繋げれるのでは。
ただマスクを作るにしても資金は必要。
それをどう捻出するか、、、
その当時の僕は呑気なもので、シェムリアップのオールドマーケット店も予定通り3月下旬にはオープンするつもりでした。
ゴールデンウイークには日本からの観光客もやってくるだろうし、8月は世界中の観光客がやってくるとすら思っていました。
そこで収益の見込みは”ある”と判断し、今やれることを後悔なくしたい!と思い、預金を引き出しました。
と時を同時にして、ピンポイントのタイミングでシェムリアップ在住のゆうた君から電話が入りました。
「何かできないかな?」そんな会話から始まりました。
そして僕らの想いが共鳴し、資金を出し合ってマスクを4,000枚作って必要な人たちに配ろう!と言うことになったのです。
一人だったらこんな枚数作ろうと思えなかったし、ゆうた君の優しさと強さに僕もいつでも助けてもらっています。
ありがとう!!!
そしてこの決断後、欧米数カ国の入国規制が発動されるなど、状況は毎日深刻な方向へ進み、SuiJohは3月16日にシェムリアップからの完全撤退と言う話にまで加速していきました。
僕の個人的な感情になってしまいますが、もう完全に僕の想いや期待に願い、それが込められた予想とは真逆の方向へ!!
時の流れってここまで残酷で、流れるときはここまで激流になるんだ、と痛感し、
でも不思議なもので、それを他人事のように傍観している自分もいました。
目の前に橋があって、さて渡ろう!と思って5秒くらい目をつぶり、再度目をあけたらもうそこに橋が無い!ってくらいのスピード感です。。。笑
さておき、、、
その当時、もう4000枚のマスクの生地裁断を終え、縫製が始まっていました。
その当時、市内のマスクは高騰。
もともと一箱50枚入りが2ドルで買えるお店もあったのですが、お店によっては28ドルで売っている状況。
一枚売りしている露天も1枚1ドルするところもありました。
こりゃSuiJohマスクの出番でしょ!これは有効活用してもらえる機会だ、と寄贈先と話をし、マスクをただただ渡すのではなく、布マスクを洗うこと、手洗いの大切さも合わせて講習してもらうようにお願いし寄贈を進めました。
一つとても興味深いニュースで、このコロナ禍で至る所で消毒スプレーが出現。
トゥクトゥク乗車時も、レストラン入店時も、パン屋さん入店時も、スーパーに入店時も消毒スプレー。
肌が弱い人は肌が荒れてしまう人も出てくるほど。
その反面、下痢、腹痛で病院に行く人も劇的に減ったとのニュースもありました。
そしてマスクの配布、手洗い講習活動に参加させてもらって分かったことは、プノンペン市内でも郊外や農村部では手を石鹸で洗う習慣がほぼ無いということ。
講習会で石鹸で手を洗ってもらって、その後水で流すことをせずにその手をズボンで拭き拭きする方も何人も居たのです。
そして聞くと、石鹸で手を洗うことはない、と。
手洗いがカンボジアで行き届くと、もしかしたら平均寿命が延びるなんて事にまでなるんじゃないのかな、とすら思います。
話は逸れてしまいましたが、たかがマスク。されどマスク。
そんな”マスク”を巡るこの数ヶ月が創り出した多くのインパクトと繋がりを僕は今後もきっと忘れません。
そしてプノンペン市内はコロナ禍が過去の出来事だったような、あるいは長い喪に服す期間でそれが明けようとしている、そう思ってしまうくらい普通に戻ろうとしているプノンペン。
ただ観光客、ビジネスマンなど人の流入が無い状況で、そして日本に世界に発送をしたくてもカンボジアは郵便局の国際便(EMS)がまだ止まってしまっており、僕らとしてはとても頭を悩ますわけです。
だからこそ、無い知恵を必死に絞り、絞り、絞り尽くすことで、ココに今後を跳躍するチャンスが埋もれていると思います。たぶん、いろんなチャンスがきっと来る。
”どんな不幸からも 喜びを拾い上げ 笑って暮らす才能を誰もが持ってる ”
(Mr.Children / CENTER OF UNIVERSE)