スースダイ、浅野です。

僕はカンボジアが好きです。

何がとか、何故とか、色々と聞かれても返答が困る部分もあるのだけれど、

カンボジアに恋してしまっているようなもの。

だから、嫌なことがあっても、悩んでも、壁にぶち当たっても、惚れた弱みです。笑

しかしながら、昨今大きな変化、波が押し寄せてきています。
それはカンボジアだけではないとは思うのですが、中国の影響力です。

プノンペンにて生活している中でも、モニボン通りと呼ばれる一つの主要道路があります。
そこは今は中華レストランが軒を連ねていたりします。

また新聞でも、よく中国人が登場します。

怖い中国人の方が車でカンボジア人を跳ね逃走、だとか、
カンボジアからネットを使って、中国本土へのオレオレ詐欺をする集団だったり。

シアヌークビルはまるで中国の中のカンボジア人村へ

それが如実に現れているのがシアヌークビルでした。

今回、シアヌークビル、バベットと調査に同行する機会を得ることができ、
今までも縫製技術についてはもちろん、経営に関しても色々とお世話になって来た、小島衣料の小島オーナーと、
ジャーナリストの高野孟様、包装製品の会社を経営されている山田社長。

シアヌークビルはカンボジア人にとって新婚旅行先となるほど人気のビーチ”でした”。
そんなシアヌークビル市内の人口は約10万人と言われています。(州全体では約25万人)

その中で何人くらいの中国人が居ると思いますか??

2018年10月25日のプノンペンポスト紙の記事の中で、内務省のSok氏がカンボジアには約21万人の中国人がカンボジアに居り、
その中の7万人がシアヌークビルに滞在している、と発言しています。

この滞在先が市内を指して居るのであれば、10万人のカンボジア人と7万人の中国人がいる町。

でも、そんな馬鹿な、、、と思いますよね。

僕の好きなシアヌークビルはこんな感じの町です。
(写真は2011年のものです)

こんな感じでビーチサイドにレストラン&バーが軒を連ねて。

こんなソファーに座って、ビーチを眺めながら、物思いにふけったり、本読んだり。
気が向いたら海に入って、疲れたらまたソファーへ。

泳いで小腹が空いて来たな、と思ったらナイスなタイミングで、

揚げたシャコや炭火焼のミニ イカ焼きを売るおばちゃんがやってきて、
ビールと共にとても贅沢な時間を味わったり。

少し眠たくなってきたら、マッサージをしてもらいながらリラックス。

夕暮れに近くと、なんだか感傷的な気分になって、
生きている意味や、生まれた場所や、今日ここで出会ったおばちゃんや子供のこと考えたり。

夜になると、手持ちタイプの打ち上げ花火が上がったり、
ランタン夜空に舞うのがとても幻想的だったり。

そのランタンを僕は最初UFOだと思って、変にテンションあがって近くの人に「UFOだ!!」と興奮し話すと、
「UFOじゃないよ!Lanternだ!お前もそこで買えるぞ!」と言われ、恥ずかしい思いをしたこともあったなぁぁぁ。

そんなランタンを眺めながら、炭火焼ツナステーキを食べるのが好きでした。

今のシアヌークビルはどう変化したのか

ホテルの方に話を聞くと、大小合わせて80を超えるカジノが存在するようです。

そうなのです。

カンボジア人の憧れる港町から、今はカジノの町へと変貌してしまっているのです。

そして物価も高騰し、以前は10ドルくらいのゲストハウスもあったのですが、今は安くて20ドルなのだとか。

しかも、上記にも出て来た7万人がシアヌークビルに滞在して居るという話も、あながち嘘ではないかもしれません。

シアヌークビルには中国系の経済特区もあり、そこには160社が入社しており、多くが中華系ですので、きっと多くの幹部社員が本国から来ているはず。
そして建設ラッシュのシアヌークビル。労働者の一部も中国から来ている。

 

いつのまに出来たのか、と思うこの巨大なホテル。

驚いた事に、観光バスを誘導するスタッフ、警備員、ドアマンも中国人でした。

こんな感じで市内、ちょっと郊外までも開発が進み、本当にカジノ・タウンで衝撃を超えて、狼狽です。
ご飯を持ち帰り、自分のホテルで食べようと思って、海鮮BBQを探したのですが、無い!無い!無い!!!

こんな感じで、中華料理しか無いではないか。。。
しかも、中国人のスタッフしかおらず (たまたま居なかったのか?!)、英語もクメール語も通じず。

しかたなく、ライオン像近くのハンバーガーをテイクアウト。。。

シアヌークビルまで来て、ハンバーガーを食べることになるとは。

ちなみにですが、夜12時くらいにライオン像周辺を歩いたのですが、そこまで危険な雰囲気はしませんでした。
トゥクトゥクやバイクタクシーの男性が、僕を中国人と思って中国語で色々と話しかけてきて、みんなの順応性すごいな、とも思います。

また市内には沢山の、というよりは自分がどこの国に居るのか見失うくらい漢字が目に飛び込んで来ます。

ここは中国人経営の病院かわかりませんが、中国人経営の病院もありました。
そして中国人経営のヘアサロンまで。

また同行してくれたカンボジア人通訳によると、看板の半分くらいがクメール語としては意味が分からない、と。
カンボジアではクメール語を看板の最上部に記載しなければならない、と言う法があり、それを守る為に、中国人オーナーが中国語→クメール語への翻訳を人に頼むのではなく、
グーグル翻訳で済ませてしまったのが原因だと言われている。

そして僕の大好きだったビーチ沿いはと言えば、

海の家があった場所はこのようにフェンスで覆われ、ビーチ自体も閑散としていました。

このフェンスの隣にある海の家でご飯を食べようと思い、店内に入ってみたものの、なんとオーナーが中国人で、
やはり英語もクメール語も通じない。中国語で色々言っているのだが、訳がわからない。。。僕は中国語できません。。。

そしたらカンボジア人が登場!!

僕がご飯を食べたいけれど、メニューがありますか?と聞くと、

それをオーナーに伝えるので待ってください、と言われ、出て来たのが携帯電話!

そうなのです、グーグル翻訳でクメール語から中国語へと変換し、伝えていたのです。

それなら、僕も出来るじゃん!
とは思ったのですが、そのカンボジア人の彼に話を聞くと、彼も中国語は出来なくて、いつもグーグルのお世話になっているのだとか。

すごい世の中になったものだ。。。

ちなみに、メニューも中国語で書かれたものしかなく、漢字から想像するしかなかったのでした。

 

部屋に帰り、ハンバーガーを食べながら、

僕の好きだったシアヌークビルはもう2度と戻ることはない。

そう考えると、失恋をした気分に似た焦燥感が込み上げてきましたし、今も感じます。