スースダイ、浅野です。

ロックダウン中のプノンペンからこんにちは。
ロックダウンが始まり、何日経過したのか、曜日感覚も無くなりはじめてしまっています。

カレンダーを見てみると、クメール正月2日目の4月15日から、青天の霹靂とも言える急なロックダウンだったので、今日で7日目のようです。

 

さてさて、

 

遡ること2月16日。KHMER TIMESは“カンボジアの新型コロナ感染状況は世界で3番目に低く検査を受けた1000人あたりの陽性者が1.1人となっている。検査をされずに発見されないケースもあるだろうが、その数は極めて少ない”とのニュースがありました。

 

が、今や日々の感染者数は政府発表では、ここ数日は200~500人前後を推移しています。(一部の情報では1000人超えとの発信もあり、どれが本当かは…)
カンボジアの人口が日本の1/8なので、仮に新規感染者500人だとしたら、日本の場合4000人に相当するわけです。おまけに緊急で作られた隔離施設の1800床はすでに万床のようです。

 

ことの発端は2月20日に遡ります。

それまでは時々、陽性者は出ていたものの、その関係者の2週間隔離などによって拡大は防がれており、死者も3月11日に1名亡くなられたとの発表があるまでゼロでした。

市内ではマスク着用、いたるところであるいはもう癖のようにアルコール消毒は行われていましたが、どこかコロナ禍という”禍”は遠い世界のような感じすらしていました。もちろん、観光業は途絶え、ビジネス面では苦悩が続く日々。でも皆、希望を見出そうと諦めません。

そんな中で、起こった2月20日。
それがロックダウンに繋がるとは、この時考えもしなかったです。
(そもそもPCR検査母数が少ないとか色々なアイディアを見聞きしますが)

陽性で隔離されていた中国人女性が隔離ホテルのセキュリティーガードに”心付け”を渡し、中国人が集うクラブへ遊びに脱走。そこから感染が広がったと言われています。しかしその中国人は一説によるとプライベートジェットで他国へ出国済みだとか。

もしそこでその人が遊びにでていなかったら、別の”今”があるのでしょうか。
それとも結果的には同じ今なのでしょうか。。。

2月20日以降は中国人の感染者が増え続けていきましたが、今となってはそれも遠い昔の出来事のようです。昨今はカンボジア人の感染者が大多数。

それまではワクチン接種に消極的だったカンボジア人が、一気にワクチン接種へ舵を取り始めました。(尚、今接種されているのは中国のSinovac)

その後も感染者は拡大し、陽性者が出たマンションは2週間閉鎖し、その住人も政府管理下のもと外出不可に。そんなマンションやエリアが増え続けました。それまでは感染者数が479人(2月16日)だったのですが、2月28日には2月20日市中感染者が合計272人に。3月30日には全州合計1949人。全期間の累計は2477人(回復1240人/死者15人)に。

 

そして来る4月1日。

エイプリルフールだったら良いのにな、と思ったプノンペンの20時から翌5時までの外出禁止令(2週間と発表)。20時過ぎの取締りも行われ、町は一気に静まりかえりました。(20時を超える業務が要される等は会社からの証明書とIDが必要に)


※初日20時以降に外出していた人はこのように即席の夜間外出禁止令の講座が。その後、解放。

4月9日深夜からクラスター発生した地域での2週間のロックダウン開始。

4月11日には4月24日までの飲食店の店内での飲食を禁止し、デリバリーか配達のみの営業へと制限開始。酒類の販売も禁止となりました。

4月14日 クメール正月1日目の夕方。プノンペンとタクマウがロックダウンすると言う情報が広がり、市内のスーパーは大混雑。
※政府から正式発表前に、KHMER TIMESや一部ローカルメディアがロックダウン情報を得た事を発表したことにより、市内のスパーマーケットに人が押し寄せプチパニック化。それでも強奪などは起こっていない模様。

ローカル商店では便乗値上げも発生。
政府からはまだこの時点では正式発表は無く、このリーク情報を流したものを見つけだし、処罰するとアナウンスするものの、ロックダウンの真相についての可否については触れず、そのまま外出禁止時間の20時を迎え、結果、その後正式にロックダウンが発表されました。

そして市内はあらゆる場所に警察官、ゲートやテープが設置され、出勤をめぐる混乱などが起こっていきます。つづく(ロックダウンの現実etc)

➖➖➖➖➖

SuiJohのオンラインショップはこちらです、よろしくお願いいたします!
(オンラインショップはロックダウンしてません汗)