スースダイ、アサノです。
この橋を渡ると、そこは携帯電話の電波も微弱になり、
なんだか哀愁感じる孤島に迷い混んだ気分です。
風に漂うかの様に結婚式を彩る音楽が徐々に近づいてきます。
今回の結婚式は、僕の親友の1人であるダビィの妹(テリー)の結婚式でした。
テリーは姉とは対照的で、とてもシャイな性格で、しかし気は強いタイプ。
英語もほぼ話せず、初対面の人にはクメール語でさえあまり言葉を発しません。
テリーはまだ19歳で、僕はテリーの結婚話を聞いた時、日本的な感覚で言うと、まだ結婚早いんじゃ!と思いました。
そして結婚に至る話をダビィから聞いて、色々と考えさせられました。
ダビィの家族は、裕福な家庭とは言えませんが、それでも何度かお邪魔させてもらっていますが、幸せそうな家庭に見受けられました。
そして今回の結婚話が決定した経緯、それは両親の判断と決断でした。
最初、テリーに好意を抱いている同じ村の男性が、テリーの親に結婚のお伺いをたてたそうです。
その男性は、同じ村で農業を営む30歳の男性。
両親は、その男性がトラクターを持っているから、と言う理由で結婚を了承したそうです。
それをテリーに伝えると、テリーは拒否し、しばらく姉の家に家出をしました。
姉達(姉が3人います)もテリーの結婚には反対したものの、両親は男性側の家族にも結婚を承諾する旨を伝え、日本で言う両家の顔合わせ、結納の日取りも半ば強引に決定しました。
最終的に、テリーも“両親が決めた事だから、それが良いのだ”と結婚を決意します。
そんな彼女が主役の日。
雨期に片足つっこみかけた6月ですが、1日中天気は良く、とても緑が映えた日でした。
そんなテリーは、結婚式当日は疲れた顔をしていましたが、翌日はとても晴れやかな顔をしており、そして心底、幸せになって欲しいと思いました。
その幸せは、彼女達の天秤の幸せで良いし、彼女達で共有できる幸せであって欲しいと思います。
そして、選択肢が多ければ多い程、人間は幸せの本質から遠のくのかもしれないな、と思いました。
例えば、テリーにも、
・プノンペンで大学に通う
・シェムリアップで働く
・海外に留学する
などの選択肢が与えられていたら、彼女はこの結婚を後悔するかもしれない。
色々な経験をする事はとてもステキな事です。選択肢が多い事は幸せな事です。
でも、それって必ずしも万人には言えないとも思います。
僕ら日本人は努力次第で職業選択の自由も与えられているし、1年必死にアルバイトすれば海外留学もできる。1ヶ月アルバイトすれば、日本からカンボジアにVISAもそこまで気にせず旅行できる。
しかし、ここカンボジアにはそんな選択肢を選択肢として考える事が出来ない現状もある。
でも、だからこそ、得られる幸せもある。
そこに僕らの価値観の尺度を持って行き、
“かわいそうだなぁ” “人生楽しんでない” と思う事は決して正しくないと僕は思いますし、それは僕らの想像力の欠如であるように思うのです。