カンボジアに来て、気がつけば1年が経過しました。
この1年、本当に色々な事があって、
人間不信にもなったし、自暴自棄になった事もあったし、本当に多くの感情を経験しました。
こんなテキトーでイージーなカンボジアで、鬱になるんじゃないかって思った事もありました。
追い打ちをかけるように、友達に一気に老けたな、とも言われました…泣
僕が通うノートン大学 大学院(開発学専攻)でも、カンボジアの”悪しき文化”に驚愕したり、
教室にネズミが出現したのに、皆平然としていることに度肝ぬかれたり……
でもステキな仲間と出逢う事ができ、そして今の所、無事に単位も取れてます(笑)
その中で気づいた事は、僕の周りにはとても素敵な友達がいて、支えられてるって事でした。
だからこそ、今の僕があるのだと本当に思います。
皆、本当にありがとう!!!
そしてやっと、僕がカンボジアに来た本来の目的、つまり初心を取り戻す事が出来ました。
僕は大学生時代にバックパッカーとして東南アジアを旅行して、
そしてカンボジアで心底思った事は、誤解を招くような言い方かもしれないけれど、
「なんで皆、貧しいのに、こんなにキラキラと輝いてるんだろう?」
そんなシンプルで、でも複雑な疑問でした。
と同時に、日本はとても恵まれているのにキラキラしてないのは何故だろう、
と思わずにはいられませんでした。
本当の豊かさや幸せは、GDPなんかじゃ計れないのではないか。
そして「貧しい」「可哀相」は先進国が押し付けた言葉なのではないか。
彼らは物質的には貧しいかもしれないけれど、
自分が可哀相な存在だとは思ってはいないのではないか。
それらは、僕が僕の世界しか知らない(知ろうとしない)、
あるいは興味がないからではないのか。
そんな想いを抱きながらも、大学を卒業し、
そして僕は右向け右で就職する気にはなれなくて、
ワーキングホリデーでオーストラリアへ行ったのでした。
でも、結局は帰国後、社会の歯車として働き、
最初は色々な野心等を抱いていたけれど、
それらが日本社会のぬるま湯的な環境に摩耗させられつつあったある日、
ある転機があって、自分の人生を振り返り、思い返したのです。
僕らは大袈裟じゃなくて、いつ死ぬか分からない。
今日、何か起こったら、僕は僕の人生に悔いは無いのだろうか。
ならば僕は自らカンボジアへ行き、僕が抱いた「?」を自分で確かめようと思った。
そして、カンボジアがカンボジアらしさを保ちつつ発展できるような、
そんな試みができないものか、と思ったのです。
仕事の長期休暇を利用し、カンボジアへ渡り、開発学部がある大学へ直接訪ね、
入学方法等を確認し、来たる時に備えました。
そして、僕はカンボジアがクメール人としてのアイデンティティーを持ち続けられる
”何か”を取り入れたカンボジア発の、そして利益がカンボジア(人)に還元されるような
ビジネスができないものか、と足りない頭で夢想し、そして出国したのでした。
ただ、その出国は、結局は見切り発車のようで、大海原にボート一隻放り出されたような、
道しるべもまだない、頼りないものでした。
そして、日本の社会から飛び出した自分を、ひどく後悔し、
まるで大海原に漂流する笹舟みたく心細さが胸を締め付け、自分の将来へ対する不安、
年金への不安(笑)、老後の不安(笑)、不安が次なる不安を呼び、
眠れぬ夜を過ごしたのは1度や2度ではありません。
とは言っても、今も状況は著しく好転してはいませんが……苦笑
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