スースダイ。
カンボジアから浅野です。
9月16日からカンボジアはお盆の連休にはいっており、プノンペン市内も人通り、車の交通量共にがくっと少なくなり、静かな時間が流れています。
この静かなプノンペン、結構好きです。
でも、いつものコーヒー屋さん、朝ご飯屋さんなどが閉まってしまっているのでご飯を食べるもの普段より苦労するのはいつもの事です。笑
このお盆の前、9月11日に一般財団法人日本アジア振興財団(以下JAPF)のオンラインセミナーに登壇させて頂きました。
JAPF様は毎年、夏、春と海外のスタディーツアーを行なっておりプノンペンへお越しの際は、講演をさせて頂いており、今年はコロナ禍の影響で実際のスタディーツアーは行えない代わりに、オンラインで行うこととなりました。
思い起こせば、今年の3月にもJAPFスタディーツアーの皆さんとプノンペンで会っていたんだな、と考えるとすごく不思議な気持ちになります。
コロナが世界に広がりつつあったあのタイミング。
いくつかの団体様は渡航自体をキャンセルしていた中、JAPFの皆は渡航してくれて、しかしマスクをつけてる学生さんもいて、マスクはマストな時代になるのかな、なんて考えていたのが、本当にマスク必須の世の中に。
それがたった約7ヶ月前!!世界が一変したこの期間。
世の中の当たり前が変わるなんて、あっという間ですね。
だからまた自由に世界を旅できるのも、きっとあっという間になるんのでしょうか。
話を戻して、今回のオンライン スタツアは運営の学生のみなさんの準備も素晴らしく、
zoomも機能もフルに活用し、僕もよくわかっていないのですが、少数に分けたチャットルームをつくり、そこでも各グループ意見をだしあったりと、こんな使い方もできるんだ、と勉強させてもらいました。
またJAPFのツアーがきっかけで、休学を選択しSuiJohのインターンにも来てくれたあさかちゃんとも画面越しに再会できて、うるうるっと来てしまいました。
プレゼンが終わり、zoomをログアウトしてふと日時を見ると9月11日。
19年前の2001年、同時多発テロが起こった日。
そして、まったく自分の人生とは無関係の出来事だと思っていたこのテロ。
その日、僕は人生初めての一人旅でオーストラリアのケアンズに5泊6日のホテルも送迎も組み込まれた旅行に行きました。
今となっては何をそんなに恐れていたのかと笑ってしましますが、当時の僕はこの旅行で死ぬんではないのか、くらいの恐怖と戦いながらの一人旅でした。前夜なんて、旅行をキャンセルしようかと思ったほどです。苦笑
そんな心のハードルを一つ飛び越えることができた旅行を終え、9月11日にケアンズを出発し、9月12日の早朝何も知らない状況で名古屋空港に着いたのでした。
そして家に着くと、朝のワイドショーで映画のワンシーンのような映像が繰り返されていました。
ワールドトレードセンターが崩れたように、浅野家の営んでいた町工場も波に呑まれ連鎖倒産となり、幼少期から祖父に言われていた「ゆうすけ、お前は4代目だぞ」と言う僕の未来はいとも簡単に消えたのでした。
そんな中、大人の残酷さ、社会の残酷さ、人生の儚さを垣間見た僕は、俗に言う自分探しに生きる意味を見出そうと、翌年東南アジアをバックパッカーとして周遊し、そこでカンボジアに恋に落ちてしまったことを考えると、僕にとっても911の出来事は特別な出来事でもあるのです。
もしこの出来事が起こってなければ、僕は今頃アルミホイルを鋳造したりしていたのかもしれません。
となると、あさかちゃんにも出会っていのだろうな、SuiJohもうまれてなかったって考えると、とても不思議でしかし味わい深い思いが押し寄せてきます。
このテロで命を失った人々、そして負の連鎖により日本でも命を経った人たちのご冥福を祈るとともに、子供には(僕の知る限り)辛い顔を見せず、現実に向き合って生きてくれた両親には感謝です。
そしてじいちゃんの言う「4代目」には僕はなれなかったけれど、その代わり、SuiJohが4代以上続くような存在にしていけれるよう、がんばらなきゃな!