スースダイ、アサノです。
カラッと乾季なプノンペンです。
陽射しは強く、肌が焼けていくのが実感できる今日この頃。
そんなある日、カフェの店員さんで親しくなったカンボジア人女性と話していた時、
なぜだか幼少期、家族の話になりました。
A子さん(以下A)
「小さい頃、どんな遊びをしていたの?」と僕に聞いてきました。
僕「学校終わったら、公園で鬼ごっこしたり、走り回って遊んでたよ」
A「学校に行けていたのね。あなたはラッキーよ。
私は実家の農業を手伝って1日が終わったもの。
お父さんが病気になるまでは、学校も行けていたけれど、
病気になってからは売れるものは全て売ってね、それで助けようとしたの。
お父さんね、最後は全然動けなくなって、私が体を洗ってあげていたの。
そしたら、恥ずかしがるの。それも今は大切な思い出。
でも結局、助からなかった。失えるだけ失って、助からなかった。
だから私も学校を高校途中までしか行けなくなっちゃった」
僕は”うんうん”と頷くしかできなかった。
A「高校卒業していないから、私は大学行くのはすごく難しい。
きっと勉強もついていけないだろうし、もう25歳だしね。
私ね、本当はね、ジャケットが着れるから銀行員になりたかったの。
でも、それは夢ね。次の人生ではそうなりたい」
そう言って、明るく笑う。
そして僕の事をいつも”My friend”と迎えてくれるその言葉の重みを思う。
僕は、今までの僕の環境を比較対象とするしかできないのだけれど、
とてつもなく恵まれてしまっていて、それに慣れていて、
それがとても当たり前に思ってしまっている事に改めて気がつかされ、
とてもハッとした。
それらの”恵”が、僕らの大切な何かを奪っているような気もするし、
でも、それに必死にすがりつこうとしているような気もする。
こんな事を考えるのはいつの日ぶりだろう、ってくらい久しぶりで、
アンフェアな世の中の、アンバランスな自分の存在に頭を抱えたくなる。
他人の過去の、他人の人生の話であり、
僕が介在し、悩む事自体が余計な御世話であるだろうし、
あるいは同情し、こうやって悩む自分が好き、
みたいなエゴだったら自分を侮蔑したくなるのだけれど、
僕たちが手を差し伸べられる人数には限界があるし、
そもそもその手法も、資金だって限界は見えている。
ひとまずは自分の関わる仲間を幸せにする事を目指し、
そうできるよう努力する事しか出来ないけれど、
でも、この出来事から改めて考えさせられた事は、
今の自分にとってはとても必要だったように思う。
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