スースダイ、アサノです。
シトシトとまんべんなく、時間をかけて地面を濡らす為に雨が降っているような感覚、
楓からしたたる滴や郷愁を抱かせるような金木犀の香り。
日本はもう冬の一歩手前。
朝は布団の温もりが心地よく、もう数分ここにいたい、と思いました。
日本って情緒あるな、と思います。
そして、戻ってきましたカンボジア。
Tシャツ姿のまま気づいたら寝ていました。
扇風機の風をおもいきり浴びながら。
今回、日本に滞在し、改めて四季の偉大さを感じます。
カンボジアで働いていて、
(あくまで個人的にですが)同じ人間なのに根本的な違いを直感的に感じる事があります。
それって、きっと四季に通じるんじゃないのか、と僕は思います。
日本は四季があります。
カンボジアは四季はありません。
四季がいったい人にどのような影響をもたらすのか。
(僕の一方的で勝手な意見ですが。。)
その一つが”耐える事” と ”耐えた後に喜びがある事”を生きると同居して知っている事。
とは言っても、普通に日本で生活していたらそれは見過ごしてしまっている
あるいは当たり前すぎて、本当に些細な日常の次元なんだと思います。
今から日本は冬に向かいます。
冬は日照時間も少ないし、作物も育たないし、まさに耐える時期。
冬を乗り越える為に僕らは元来、夏、秋に収穫した物を、冬にも食べれるように工夫する。
そして冬を凌ぐ為には布団が必要で、その為に綿の収穫も必要だし、
暖をとる為に薪も必要で、
そもそも家の作りも工夫が必要だったり、
とにかく、命を繋ぐ為に工夫や努力が必要なワケです。
そして冬を迎え、耐えしのぎ、菜の花が咲き、心に彩りが戻り、
暖かさと共に桜が咲き誇る。
まるで冬を耐えたご褒美のように。
少しづつ暖かくなり、ジャケットからカーディガン、
そして薄手のシャツに衣替えし、
そんな時にデートして、手を繋いだ時に腕と腕との肌が触れ合った時、
なんとも言えない愛おしさを味わったり。
きっとそんな1年のサイクルがあるおかげで、
日本(人)は育ち成長できたの側面もあるのかな、と思います。
また先進国に四季、ないし冬がある国が多いのはそれを物語っているのでしょうか。
かといって、四季の無いカンボジアや赤道周辺国がダメだと言っているワケではなく、
こう言った違いが根本的にあると言う事を前提に、付き合い、仕事をしていなかいと
小さな歪が大きな亀裂となりかねない、と思うのです。
日本には日本のやり方が、カンボジアにはカンボジアのやり方があるし、
各々の幸せがある。それは真似を出来るものではないです。
僕はあくまでカンボジアで仕事をさせてもらえている存在。
だから、もっとカンボジア(人)の事を知りたいし探求したい。
カンボジア人は計画性がない、とか、忍耐力がない、とか
耳にするし、僕もそう思うこともあるけれど、
1年中食物が取れるし、メコン川の恵みもある。
日本のような強烈な寒さがないから、外で寝ても凍死することもない。
耐える事の先に大きな喜びがある、と言う事に馴染みがないのだから、
「計画性や忍耐力がない!!」とそれを責めるのは
そもそも論点が違うなぁと最近は思います。
それを知った上で共通認識を作っていけば、
もっとより良い関係性が築けるような気がするのです。
カンボジア人ともっと関わり、違いを知り、理解したいです。
僕は日本人だけれど、もっとSui-Johがカンボジア(人)にも
受け入れられ、愛される存在にいつの日かなれたら、、、
Brown coffee(カンボジアのスタバみたいな存在)でSui-Johを着ている、
持っているカンボジア人がいる光景を見れたら、きっと泣いてしまいます。
お盆休みの連休も終わり、明日から日常が戻ってきます。
明日からもばんがりましょう!!!
今後もよろしくお願い致します!
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