スースダイ、アサノです。
問題が起こる物事と言うのは、
おそらく解決策が分からない、と言う事は滅多になくて、
問題の本質が何であるのかを把握していない、
問題が何なのかを理解できていない場合が多いのかな、と思うのですが、
今、僕はやっぱりカンボジア人が分からないのです。
一昨日、また工房のテイラーが1人辞めていきました。
しかも嵐のように。
辞める前日に彼は僕に対して、
「このまま頑張っていれば、俺も日本に行くチャンスはあるのか?」
と日本のファッション誌を見ながら話していた23歳の彼。
その前にも、幾度となく日本に行ってみたい、連れて行って、と言っていた彼。
箸を使うのが苦手で、外食を誘っても、周りに見られるのが恥ずかしいから、
と1人寂しく工房でご飯を食べていた彼。
僕のお古だけれど、鞄を上げたら、すごく嬉しそうな笑顔で「サンキュー」と言った彼。
前の道路を眺め、可愛い子が通ったら、二人してアイコンタクトして微笑みあった彼。
「2年後くらいにそうなるように頑張るから、今を共に頑張ろう!」と僕は言い、
彼は親指を立て「オケェ~」と言っていた、その24時間後には、
これらの会話は吐き出された冬の白い吐息みたく、消えていくわけで。
いま分かっている事は、分からない、と言う事だけです。
僕の今抱えるこの問題なんて、カンボジアの他の企業さんやお店に比べたら、
ちっぽけな問題だと思います。
そしてこのような仕事に対する考え方だったりの差異は、
もちろん個人差や家族の環境もあると思うけれど、
初等教育が大きく影響しているのかなと個人的に思います。
例えば、小学校の先生が自分の都合で学校を急に休んだり、
授業後に学生から小額のお金を取り授業をし、テストに出る問題を教えたり。
それを幼少期に経験することで、
先生が勝手に学校を休む = 仕事を勝手に休んで良い
授業外でテスト問題を教える = 賄賂に対する許容の拡大
と言う考える助長する結果になってはいないのか。
そんな事を思う、日曜の深夜です。
おやすみなさい。笑