スースダイ、アサノです。
HAPPYになった出来事、その2です~!
それは、テイラーさん達の何気ない会話でした。
Sui-Joh提携テイラーの中でも腕利きで頼りにしている2人、パウとジャンの会話です。
彼女達との付き合いは、まだ(あるいは、もう)1年ちょっとになります。
最初は相互理解がなかなか捗らず、きっと双方ストレスを抱えていたとのだと思います。
しかし、僕のつたないクメール語ではあるけれど、根気強くコニュニケーションを続け、
Sui-Johが求めるモノを話し、何を目指しているのか、何回も何回も同じ事を話し、説明し、2人にも「難し過ぎる。細か過ぎる。勘弁してよ。」みたいな事を言われた事も多々ありました。
その度に、豆腐みたいに頼りない僕のメンタルは、ぐにゃっとくじけそうになりながらも、
同じ事を話し続けた結果、最近では僕が言わんとする事を汲み取ってくれるまでになりました!!!!!
なので、最近は作業効率も上がり、特にその2人には本当に感謝です。
そんな彼女達が僕を見ながら、クメール語で会話をしているワケです。
僕はどうせ「僕が細かい事をうるさく言うから面倒だな」とかってまた話しているんだろう、と思っていました。そして作業をしながら聞き耳をたてていると「日本に行けるかな。日本ってどんな街なんだろう」みたいな事を話している事に気づきました。
そして「いつか私たちを日本に連れて行ってくれるのかな。日本はどんな国なんだろ。きっと凄いに違いない。行ってみたいな。食べ物美味しいのかな。日本食食べてみたいな。でも、日本は全てが高いみたいだよ。ハリーが払ってくれるよ!ワッハッハ」と言ったような事を話しているのでした。
そして「ハリー、よろしくね!」と言葉を投げかけられました。
それを聞いて、僕は目頭がアツくなりました。
カンボジアのテイラーさん達の学歴と言うのは、お世辞にも高いとは言えず、字が書けない人もいます。
夢を持ってテイラーになる人もいるとは思いますが、現状として他に選択肢がないから、と言う人も多くいます。
そんな彼らにとって、夢は描くものではなく、見る物でもない。
夢は自分が手を広げたら届く範囲からしか“選択する発想”が無い、
と言うのが一つの現実だと思います。
しかしながら、僕の目の前で、今まで隣国にも行った事がなく、ドメスティックな環境で生きてきた彼女達が、戯言レベルであるにせよ、自分の手を目一杯広げても届かない範囲の、海を越える会話をしている事が、とてもとても僕は誇らしく、そして、同時に大きな責任を感じました。
まだまだ僕にはそんなお金も、力もないけれど、彼女達が具体的にこのように思い描き、
少なからず希望や期待を抱いてくれると言うのは、とてもステキな事で、カンボジアの言わば閉鎖的で、外に目を向ける事をしてこなかった彼女達がこのような発言を自発的にする、と言うのは、日本人がアメリカに留学する事を夢見るより凄く、愛おしい事だと僕は思います。
だからこそ、僕はそれを実現させ、カンボジア人の誰にだって可能性があるんだって事を証明したい、と思います。
そして夢を見る事の大切さ、偉大さを少しでも伝えれたら、と思います。
今でも、この出来事を思い出すと、目頭が熱くなります。
それは、その時に味わった感動からではなく、
今は悔しさと切なさからくるものに変わってしまいました。
「人生は何かを計画しているときに起きてしまう別の出来事」
それを思い知らされます。