6日目&7日目。
いよいよツアー最後の都市、シェムリアップ。
言わずと知れた、アンコールワットのお膝元。
滞在したのは、ボレイ アンコール リゾート&スパ
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-ボレイ2
ただただ感動。
さすがは観光都市、シェムリアップ。
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-ボレイ3
お風呂だって、こんなにオシャレヽ(゚◇゚ )ノ
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-ボレイ1
+ガラス張りのシャワールムも完備。
朝食のブッフェも、僕からしたら夕飯じゃないのか?!
ってくらい豪華絢爛キラキラ
さて、随分と話が脱線しました。。。f^_^;
シェムリアップにいくつもある5つ星ホテル。
その代表格の一つと言えるのが、ラッフルズ グランド ホテルではないでしょうか。
凛としたホテルの王道的なホテル。
そのホテルの横を車で通過した時、
我々は井川氏から耳を疑いたくなるような話を聞いた。
このホテルは、ポル ポト時代に悲劇の現場となっていたのだと言う。
当時、中国、ソ連の関係悪化に伴い、
ポル ポトは中国と親密な関係を保ち、
中華人民解放軍はカンボジアに6千人の兵士を派兵していた。
そして、ラッフルズが中華人民解放軍の一翼を担う場所となった。
それは解放軍兵士の”慰安所”として。
そこには地方等から送られたカンボジア人女性が集められた。
もちろん、彼女は何の為に集められたのかは知らず。
性の奉仕に従事させれらた彼女らに待っているのは死のみ。
病気等になってしまった女性は、
医療行為を受けられるワケでもなく、
不要品として、ホテルの塀の更に裏側辺りに殺され、捨てられた。
そして、また新しい女性がまるで郵便配達かのように、送られてくる。
なのでラッフルズホテルの裏側にあるミュージアム周辺は
無数の骨が埋まっていたし、きっと今でも埋まっているに違いない。
また、生き残った女性は誰1人いない。
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遺跡のロレイに行った際、
お坊さんから話を伺う事ができました。
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-ロレイ1
86歳になられるカムさん。
彼が住むこの場所。
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-ロレイ2
この場所も、当時は収容所ないしは、処刑されるまでの一時待機所
として使用されていた場所だとのこと。
この場所から合計90台近くのトラックが死体を乗せて
裏の草原の方へと向かったのだと言う。
そしてその草原は、今現在、外資により開発されゴルフ場になっている事を確認済み。
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先に登場した豪華なホテル達。
もちろん、蛇口をひねれば水が出てくる。
昨今のホテルの建設ラッシュ、
及び無作為な井戸掘りにより、
シェムリアップ周辺の水脈に異変が生じ、
地下水の枯渇、地層の崩れに伴う地盤沈下、
そして遺跡の傾き、崩れが発生すると言う弊害も発生していると聞いた。
あのようなホテルに滞在しておいて、本当に矛盾した文章なのだけれど、
このまま仮に悪化を辿れば、観光業への大ダメージ、
そもそも地域住民の存続にも関わるかもしれない。
そのような問題が内在しているのも一つの現実だ。
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現在のカンボジアは、
これらの過去の”悲しみ”を振り切ろうとするかのように、
そして必死に忘れようとするかのように、
早いスピードで発展しようとしている。
もちろん、この悲劇を引きずっていたら、悲しくて生きていけない。
一見、これらの悲劇を微塵も感じさせない笑顔に溢れている。
僕は10年近く前に、通りすがりのバックパッカーとして初めてカンボジアに来て、
カンボジアの子達の笑顔に惹かれ、
忘れられず、そして今、結果的にここにいる。
でも、彼らの瞳のその向こう側には、
このような歴史がある事を僕は知る必要があると思うし、
カンボジアに滞在する以上、知ろうとする努力が必要なのではないだろうか。
またそれが、先人に対する礼儀と弔いにもなれば、と思う。
まだまだ無知な僕が、何も言える立場ではありませんが……
今回の貴重な経験を、Sui-Johとしても吸収し、
頂いたご縁を深いものにしていければ、と思います。