スースダイ、浅野です。
カンボジアはいよいよ雨期がもうそこまでに迫ってます。
昼過ぎに空を見上げれば、遠い彼方に入道雲が見えて、スコールの予感を感じます。
さてさて、以前、カンボジアの大学時代の友人と話していた時に、
こんな会話をしたことがありました。
「このまま最低賃金が上がり続ければ(現在は月140ドルで、5年前は61ドル)、
 今のカンボジアの主要産業の一つでもある人口集約型の工場は、
 生産性や輸出のリードタイムが短くなる隣国へシフトする事になったら、
 失業者続出してしまうかもしれない」と話した事があります。
そしたら、彼はこう言ったのです。
「だったら、みんな田舎に戻って、農作業に戻ればよい。
 お金的な幸せはないかもしれないけれど、
 カンボジア的な幸せは取り戻せるんじゃないのかな」と。
なんとも斬新な発想だと思ったとともに、
そういう価値観、考え方もあるのか、と思ったのを覚えています。
僕も日本に居た頃は、
例えば、乳酸菌と聞いて、体に良さそう、と思うように、
カンボジア=貧しい、可哀想、と言うイメージが頭の片隅にありました。
しかしながら、カンボジアに来てみて、思ったのは、
カンボジア=笑顔、優しい でした。そして僕はカンボジアを好きになったのです。
カンボジアに住んで、6年が経過しましたが、
プノンペンを離れても、貧しいと言うイメージはほぼありません。
もちろん物質的な部分、金銭的な部分では貧しさはあります。
しかし飢餓で亡くなる人はほぼ居ないですし、地域差はあれど、作物、果物も年中取れます。
仕事に困れば、遠い親戚が助けてくれたり、子供の面倒をみてくれたり、
実に豊かに暮らしているとすら、僕は思います。
ただ外国人の僕らやある人々が、
彼らは可哀想、最貧困層、と言うレッテルを一方的に貼り、
そう自覚させ、そしてそれをある種の商売にしている。
カンボジアに貧困があり続けてくれないと困る人々がいるのも確かです。
ある種の、悪意の無い貧困ビジネスとも言えるかもしれません。
こう言った現象はどの国にもはびこる問題だと思いますが、
僕らの一方的な”理由”で知らぬ間にカンボジアを支援漬けにしてしまっている、
カンボジアの自立を助ける仮面を被って、その阻害している可能性がある。
昨今、国際協力と言う言葉を良く耳にしますが、
そもそも国際協力ってなんなのか。
先進国側の一方的な欲求を満たしたいだけのモノになり、
協力どころか、本来の固有な大切なものを壊している可能性はないのか。
良かれと思って行う支援が本当にプラスなのか、
そんな事を先入観を蹴飛ばして、考える事も時には必要なのでは、と思うのです。
カンボジアは動物園ではなく、人々が生活がある国なのですから。

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