ツアー4日目。
朝食を済ませ、まずは市内のとある場所へ。
ここは、格式高きラッフルズ・ホテルの前の広場。
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-石碑1
プノンペンに住み始め、2年が経過しましたが、
このようなモニュメントがこのような場所にあるとは、
全く知りませんでした。
自分の無知さと言いますか、見識の狭さに恥ずかしさを覚えます。
このモニュメントは、1970年から1975年の間に亡くなった
(つまりはクメール共和国時代)
ジャーナリストの名前が記されています。
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-石碑2
その中には、ロバート・キャパ賞を受賞した沢田教一氏の名前も。
そして一ノ瀬泰造氏の名前もある。
ただこの中に誰1人としてカンボジア人記者の名前がないのだ。
井川氏の言葉で一番耳に残ったのは
「ここに記されているジャーナリストで、
 本当に自分の足で戦場に踏み込んだ人はほとんどいない」
では、どうやってジャーナリストは写真を撮り、
現地をレポートしたのか。
そこで登場するのが、各通信社のカンボジア人ジャーナリスト/スタッフだ。
彼らが代わりに戦場へ飛び込み、撮影した写真も多いとの事だ。
そして、そこで命を落としたカンボジア人も多くいた。
そのカンボジア人に触れる文言がこの石碑には全くない。
その事について、井川氏は怒りと通り越した
絶望に近い悲しみを抱いているように見えた。
ある意味では、各国の”ジャーナリスト”の身代わりとなり、
命を落としたカンボジア人記者の為に、帰国次第、各新聞社を周り、
その記念碑なりを建てる基金を集うと話されていました。
その後、プノンペンを後にし、
バスで移動すること約1時間半。
1618年から1866年までカンボジアの首都であった
古都ウドンに到着です。
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-ウドン1
今まで素通りしていたウドンですが、今回が初の観光。
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-ウドン2
小高い丘の上にある寺院での時間は、悠久の時を感じる事が出来、
またぷらっとと日帰り旅ででも来たいと思います。
丘の上まで昇るには長い階段を昇る必要があるのだけれど、
皆さん、足腰が強い事!!! 最年少の僕が弱音を吐くわけにはいきません!
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-ウドン3
一路、北へ向かいコンポンチュナンへ。
このコンポンチュナンでは、水上生活者も300戸近い集落として存在し、
多いのはチャム族、ベトナム人だとの話です。
$Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-水上
その後、本日の密かなハイライト。
コンポンチュナンの空港へ。
↓管制塔↓
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-空港1
この空港、ポル・ポト時代に作られた空港なのですが、
実際この空港は中国が1978年6月から10月の間に作った空港なのだとか。
この場所はASEANでは極めてキーポイントで、
タイ、ベトナムの脇腹を(中国が)いつでも突く事ができる、
軍事的にも魅力的な場所のようです。
この空港内を車で走らせてもらいましたが、
本当にキレイに整備されています。
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-空港2
2,800mの滑走路を備えるこの空港は、空軍が使用中のとの事ですが、
実際の所はどうなのだろう……
ここを中国に100%抑えられる前に、
日本がODAででも国際ハブ空港として、整備すべき場所だと仰っておられました。
よって、帰国次第、大手ゼネコンにも話をふられるそうです。
事実、現地新聞にも、この空港を新国際空港にし、
2025年に運用を目指す、とのニュースもありました。
一方で資金不足で棚上げか、との記事もあったと記憶してます。
さあ、カンボジア情勢、アジア情勢、日本情勢、どうなる?!
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