プノンペンからスースダイ、アサノです!
ツアー2日目です。
今朝は8時半にホーチミンを出発し、2時間で国境に到着。
国境では、ちょっとした“お小遣い作戦”効果で、
行列の出国審査を素早くパス。苦笑
カンボジアに入ると、
何故だかちょっと湿気と熱気が上がったように感じました晴れ
そして、2月13日より5,000人規模のストライキが行われた、
バベットのマンハッタン経済特区へ。
(日本の報道では20,000人との報道あり)
新聞では報道されていないストライキの原因等を
聞く事が出来ました。
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-ストライキ
18日(月)からは全社通常通り、操業しているとのことです。
が、来週早々に、政府、GMAC(縫製業会)、労働組合と最低賃金についての
会合が行われるとのことで、その会合の結果次第では
再度ストライキが起こる可能性も秘めている為、
経済特区内にはバリケード用の大きなコンクリート等がまだ残されていました。
マンハッタン経済特区を後にし、
向かったのは、スバイリエン州内にひっそりと存在する、
キリングフィールド。
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-キリングフィールド1
ここに建立されている石碑によると、
スバイリエン州でポルポト政権により、
9万4543人が殺された。
354人の医者が殺され、234人の僧侶、
871人の教師が、1万2986人の生徒が殺された。
家は7万軒破壊され、107の学校、169の寺が破壊された。
慰霊碑が建つこの村では578人が殺された。
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-キリングフィールド2
↓これが慰霊碑です↓
この中には、人骨や細切れになった衣類が納められています。
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-キリングフィールド3
この村の53歳の女性に話を聞く事ができました。
まず彼女が開口一番、言った事は、
「幽霊がこの慰霊碑の中を出入りしているんです。
 それを見た事があります。」
最初は”おぃおぃ”と思いもしましたが、
話を聞くうちに、それはあながち間違いない、とも思いました。
それは彼女、カンボジア人が負った心の傷に繋がるのかな、と思います。
PTSDが介在するのでは、と思います。
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-キリングフィールド4
ポルポト政権時代には、1ヶ月に2回程、強制結婚をさせる為の
合同結婚式が開かれていた。
そこで彼女も強制的にあてがわれた相手と結婚させられ、
プラソー村という所に強制移住させられ、強制労働を強いられる。
しかし旦那を愛することができず、そんな最中、旦那は殺される。
加えて、彼女の兄夫婦や他の親族も殺される。
また食事制限があった為、皆空腹に苦しみ、
木の葉ですら食べた。主食は水に近いおかゆ。
そんな空腹状態なものだから、
クメール・ルージュの目を盗み、食べ物を手に入れ、
こっそり食べる人が現れる。
が、それをクメール・ルージュに見つかると、
とんでもない結果が待ち受けていた。
鍬や杵で頭をかち割られ、殺されるのだ。
その光景を彼女は目の当たりにしたそうだ。
そのような緊張状態の中、何が正義で何が悪か、
それらの定義自体が抹殺された環境の中、
”生きる”事自体、心に大きな傷を与る
アクションだったのではないだろうか、と思います。
そしてポルポト政権崩壊後も、
惨殺された遺体の掘り起こしにより、
ハンモックで縛られた遺骨が見つかるなど、
当時の影が彼女に付きまとっているのではないだろうか。
また彼女曰く、ポルポト政権以前の日常は、
とても幸せで、楽しい日々だったと話していました。
Sui-Joh ~ カンボジア発のシャツブランド ~-キリングフィールド5
そんな彼女は、左右色違いのサイズ違いのサンダルを履いていて、
彼女の現在の生活を物語っているようでした。
もうこんな時間なので、おやすみなさい!!!
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